パルルの歴史

1982年
新栄画廊として開設される

1991年
カノーヴァン(canolfan)に改名。小規模にカフェ営業を開始。アートだけでなく,音楽や身体表現の発表の場としても使用されるようになる。

2006年
キッチンを拡充するとともにパルル(parlwr)に改名。

2011年2月
パルルは次のような言葉を掲げて、オルタナティブなコミュニティスペースとして新しい運営の道を模索し始めた。

・一人のリーダーに頼るのをやめよう
・100人で運営してみよう
・みんなのやりたいことを全部やろう

話し合いを始めた当初は「パルルで何をやっていこうか?」のアイデアは次々に出されるものの、「何をやるのかを、誰がどう決めるのか?」が決まらず、さらには「一つ一つすべて全員の合意を取るのか?」「決定って何?」という思考にさかのぼって考え始める。
また、みんなのやりたいことを支えるための管理業務・経理業務についての合意がとれないまま、管理者不在のまま運営がすすむ。

2012年6月
1年余りかけて話し合いを続けて次のようなシンプルな考えに辿り着く。

・パルルは「まち」である。
・パルルに集う人は「住民」である。
・パルルの使い方は「住民」の対話によって決まる。

これは、当初の目的に照らしたときの、パルルの仕組みを最も簡潔にルール化したものである。
その後、少数の住民が「これパル+(プラス)」というグループを作り、そこで管理運営についてのオープンなミーティングを重ね、作成した提案を住民に諮り、合意形成を得るというプロセスで運営をすすめてきた。ところが、運営作業の分担や責任の所在について十分な合意が作られず、運営が滞ることがたび重なるようになってきたため、一旦中断する。(およそ月に2回のミーティングを重ねてきた「これパル+」は、2013年12月をもって終了)

2013年1月
仕組み全体の整理と見直しを有志のメンバーで開始。4月には「管理者」を募集して管理運営をスムーズにしようとするが、試行錯誤が続き、活路を見いだせない状況が続く。10月、ようやく新たな仕組みの提案へ向けたオープンな説明会を開催し、12月に最新版の仕組みが完成。現在に至る。